八重山毎日新聞 新年号
2001年 1月 1日(月) 

深刻度増す赤土汚染
観光、漁場に大きな打撃

 2001年を赤土汚染防止対策元年に 

降雨時には農地などから大量の赤土が流れ出し、周辺海 域を真っ赤に染める(1998年、新川川河口)
 伸びゆく観光

 八重山を訪れる観光客は年間60万人(1999年度)を超えた。復帰の1972年の約3万7000人に比べると飛躍的な伸びだ。
 観光客数の増加に伴い宿泊施設やおみやげ店、ダイビング業者、バスやレンタカーの交通機関など観光関連業界は著しく伸び、観光収入も復帰時の7億 3786万円から約515億円に。観光産業は島の一大産業に発展した。
 新石垣空港建設に一応のメドがつき、リゾート開発も今後増えてきそうな気配である。新空港ができれば輸送能力は増し、年間観光入域客は100万人を超え るとの予想が大方だ。
 しかし、はたしてこのまま100万人、150万人、200万人と観光客が増え続けていいのだろうか。自然環境、社会環境など島の許容量に限界はないの か。石垣島は何人の観光客を受け入れることができるのか。
 
 さまざまな課題

 量から質の時代とも言われる。大浜長照市長も昨年11月の観光シンポで「質を求めることが、これからの大きなテーマ」との認識を示し ている。観光客にいつも悪い印象を与えている観光地のトイレ、交通機関、社交街などのハード面を含め、観光地としての質を高め、「もう一度来たいという街 をいかにつくるか」(大浜市長)が行政課題となっている。
 他産業との結びつきも強めなければならない。いくら観光収入500億円と言っても他産業に従事する人には実感がない。大手ホテルで地元農水産物が使用さ れる割合は3割程度。これは供給側の安定供給、品質保持の面で対応できないことに大部分が起因するが、これをどうやって解決していくかも大きな課題だ。
 そういった課題もさることながら、もっと深刻で最大の緊急課題が目の前にある。

 赤土汚染問題

 雨の日に海に目をやってみるといい。新川川、宮良川、轟川など島の河川からは赤土が流れ出し、周辺海域を真っ赤に染める。轟川、宮良 川からは世界有数のアオサンゴ群落がある貴重な白保海域まで流れ出し、新川川から出る赤土は石垣島からみると竹富島近くまで広がっているようにみえる。こ んな汚い海、観光客にはとてもじゃないが、みせられない。
 赤土問題は特に復帰後、次々始まった大がかりな農地開発事業に伴って年々深刻化した。県はようやく95年になって赤土汚染防止条例を定め、新規の公共工 事には排出基準を定めるなどして対応、公共工事においては条例制定前よりは改善したが、既存の流出源に対しても抜本的な対策を打てないでいるのが現状だ。
 赤土監視ネットワーク、八重山漁協青壮年部、八重山ダイビング協会と市民ボランティアが昨年9月から10月にかけて行った「石垣島市民赤土汚染調査結 果」で、石垣島全域の沿岸部に赤土がたい積している深刻な実態が明らかになった。比較的きれいだと思われたところでも砂をかき混ぜると微粒子が舞い上がる ほど石垣島周辺は赤土に汚染されている。

 自然景観を求めて八重山へ

 観光客は八重山に何を求めて来るのか。
 石垣市観光協会が毎年行っているアンケート調査によると、八重山観光で一番印象に残るのは、何といっても「自然景観」である。島には人情が豊かな芸能が あるといっても、やはり観光客の心に残るのは海や空の青、木々や森林の緑なのである。赤土に染まった海、赤土が露出したはげ山に何の魅力もないのだ。
 これ以上、海の汚染が進めば観光客にそっぽを向かれることは間違いない。そこで生きるサンゴや魚、そこから生活の糧を得る漁業者やダイビング業者らはど うなるのか。何よりも、かけがえのない自然環境はどうなるのか。赤土汚染という20世紀後半の負の遺産を次世代に残していいのだろうか。

 今こそ具体的な行動を

 監視ネットワークのメンバーらは昨年11月、大浜市長に行った「実効性の伴った赤土汚染防止対策」についての要請の中で「石垣島の観 光産業振興に不可欠な自然環境保全対策があまりに未整備」と指摘。大浜市長は「市や県レベルでの対応は難しい」として国庫事業導入の必要性を強調した。そ れは、対策が大規模に上り、巨額の対策費を要するからだ。
 ネットワークのメンバーらは合同での要請も求めた。幸いネットワークなど3団体のほか、世界自然保護基金日本委員会(WWFJ)、石垣島周辺海域環境保 全対策協議会など赤土流出防止に関する団体もあり、石垣市も4月の機構改革で自然保護班を置く。
 今こそ動く時。あらゆる団体や市民を網羅し、深刻な赤土汚染の実態を国に訴えるなり、抜本的な対策事業を導入するなり、具体的な行動が求められる。
 2001年は赤土流出防止対策の元年となるか。
 


石垣市への観光客は復帰(1972年)に約3万7000人だったが、年々 増加して99年には60万人を突破した=2000年12月、石垣空港

  
復帰後の農地造成によって基盤整備は進んだものの、赤土流出という負の遺 産も残した(98年、新川川河口)